始めに

道場長の田代です。

 

当道場は道場を立ち上げてから三年あまりの新しい道場です。

当道場の紹介もそうですが、合気道愛好の士を仲間内では「道友」と呼んでいますがその道友の輪を広げたいと感じ、この度ホームページを開設しました。

以後よろしくお願いいたします。

 

さて、私と合気道の出会いですが、私の場合他の道友達とは違い特殊です。

大多数の道友達が合気道に興味を持ち道場の門を叩かれる方、大学の部活に入部される方が大半だと思いますが私の場合は偶然でした。

二十年前、当時私が二十代半ばで、あらゆる武道格闘技の愛好者達がたまり場にするトレーニングジムの常連でした。

 

ある日バーベルを持ち、口を尖らせ汗を掻いていた時、師匠との出会いがありました。

後の師匠となる藤澤が現われたのです。

藤澤は当時五十代半ばで、合気道のみではなく柔術、拳法、居合等複数の武道経験があり、無論合気道をメインとしていました。

ジムの常連達の中に他武道の師範の方が数名いらっしゃいましたが、師匠の佇まいから「只者じゃない」と評されていました。

その批評に常連の仲間が好奇心で師匠にもと教えを乞うたのが始まりで、数度の稽古の後「弟子入りする」との仲間に私も付き添って行ったのがキッカケでした。

 

最初師匠もライセンスのないことを理由に渋っていましたが、仲間のやる気と若者との稽古に興味を覚えたらしく始めることになりました。

私は空手経験者でそれまで予備知識として合気道は知っていましたが正直八百長以外の何者でもないと思っていました。

「人が都合よく投げられるわけがないと」しかし師匠との稽古で考えが変わりました。

師匠の持つ、力とスピードに関わりの無い世界感とその技前に興味を持ったのです。

私も仲間に加わり、また人数も増え集まりが出来きました。

 

私達は正式な組織での活動ではなくとも良かったのですが、師匠は一般の人に段位の高低で評価される事態を感じていたので、ある合気道師範に相談し「今すぐ道場を立ち上げなさい」との応援を頂いたことから同好会を結成したのです。

師匠は自らを「馬の骨」と称していました。

若い時、ライセンスはそこそこで良いと思って、それほど段位には拘らず稽古していたようで、その後同好会での稽古中、見学者から技や稽古内容の高評価は得られるものの段位を聞かれ答えられると、そこで会話が途切れて軽く見られてしまう。

自分の評価が軽いのは構わないがその人に教えられる弟子はもっと軽く見られてしまう、軽く見られる弟子は不憫だと若干後悔しておいででした。

 

そこで私としても「馬の骨」の弟子は「馬の骨」だと、また雑草の如く「馬の骨」の意地を見せるべく稽古に邁進して参りました。

そこでこの度の道場長ブログも「馬の骨の独り言」と銘打たしていただきました。

元々師匠の人生設計には合気道の道場を立ち上げるつもりはなく、第二の人生先を仏門にと決めていたとのことです。

 

その後師匠は出家し修行のため山梨県へ、そして師匠の意思により私が地盤を引き継ぎ三年前に財団法人合気会の認可を得て道場として立ち上げました。

道場名の藤流館は師匠の名が由来です。

偶然の出会いから生み出された藤流館から合気道の輪が広まれば最も私の理想とするものであります。

 

現在、名古屋の金山にある合気道明倫塾の祖父江師範を師事し塾生として私自身の修行も続けながら活動しています。

現在二十畳ほどのスペースで一般道場生4名、少年部20名の小規模な道場ですが全体的に距離感の近い穏やかで和気藹々とした雰囲気の道場です。

ただし穏やかな中でも礼儀については筋を通して遣るべきことはやるよう指導して参りました。

 

ご興味のある方は是非見学に来て戴けたらと思います。

さて当ブログですが筆不精の私、更新も亀の歩く速度ほど遅いことでしょうが、武道だけではなく風物詩的なものも題材として堅苦しく無いものを積み重ねて記録して行きたいと思います。

 

よろしくお願いいたします。